周流杖術 ここに一本の棒がある。 およそ、1m30cmほどの棒である、バランスも良く、握りやすい太さだ。 これを人が手にしたとき、大抵の人が、一、二度振ってみるだろう。 縄文の狩猟時代の記憶がどうしたこうしたというまでもなく、 棒を振ろうということ、それ自体、たいして不思議なことではない。 また、特に武術だとか格闘技を学んでいる人でなくとも、なにかに襲われ逃げられないときには、その棒で闘おうとするだろう。 そう考えるなら周流で稽古している杖術は不自然なものかもしれない。 つまり周流の杖術は棒を振らない、棒で突かない、棒で闘わない、そんな杖術だということだ。 例えば素振りにしてもそうである。 杖を握らない、柔らかく持ち、これ以上、力を抜けば杖が滑り落ちてしまう、その寸前まで力を抜く。 杖を柔らかく持つ、いや、持つと表現するのは適切ではない、杖が落ちないようにしているだけと言い換えた方が良いだろう。 そして、そのまま杖を振り落とす。 ここで大切なのは振り落とすといっても能動的なものではないということだ。 例えば、ポケットからハンカチを出そうとし、うっかり落としてしまった。杖の素振りはこれに似ている。 杖が下に落ちていく、両手は、ただ、杖から離れてしまわないように、落ちていく杖に付いていくだけなのだ。 だから、当然のこと、手首で振ったりもしない。 また、腕や肩に力が入っていると、落ちようとする杖を止めようとしていることになり、杖の動きが鈍くなってしまう、だから一切、力を入れない。 もちろん、杖の突きも同じである。たまたま、杖を手に持っていたから、杖で突いたと言うだけである。杖がなければそのまま体術の突きである。 体術の突きである以上、手を強く握り締めると却って腕の筋肉を緊張させてしまい突きそれ自体の速度が遅くなってしまう。 実際、それでは周流の杖術が、それで武術といえるのか、闘うことが出来るのかという疑問が浮ぶかもしれない。 周流の杖術的に考えるならば、相手が棒で自分を打とうとしたとき、杖でそれを遮る必要は一切ないわけだ。単に、相手が打とうとするところにいなければよい、それだけのことである。 その端的な例が二本目の受けの動きにある。相手が杖を上段から打ち降ろしてくる。それを左に体を躱し、沈み込む。 これは決して相手が打ち降ろしてくるから避けるのではない。相手が打とうという気配を見せたから、動いたわけだ。 つまり、相手が実際に動き出す時には自分自身はもう相手が打とうとするところに居ないわけになる、その上で、もし、そのまま相手が打ち降ろしてくればよし、そうでなければ、そく肘打ちの要領で相手の脇を杖で打てばいい。 だから、型稽古でも上達すればするほど、お互いの杖の当る音がなくなっていく。お互いが、相手の気配で動く為、杖が当る寸前に次の動きを発し、杖同士が当ることがなくなってしまうのだ。 ただ、そのためには、如何に緊張せず、柔らかく動くことが出来るか、そして体の各部それぞれを一つに出来るかということが重要になっていく。 杖の速い動きに、そく、意識や体全体が対応しなければならない。杖で相手の動きを遮らない以上、自分の体が充分に変化する必要があるわけだ。 一瞬で体を変化させ、攻撃をかわす。 一瞬で体を変化させ、攻撃する。 これが、棒で闘わない周流杖術というものである。 |
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2000/04/22
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